答えを時間に委ねて:競技馬の健康管理とGMI約十年の記録
- 詳細內容
- 分類:天選之材GMI
- 建立於 2026-09-17, 週四 14:43
- 點擊數:97
GMIに、彼をもっと高く跳ばせることも、
速く走らせることも期待していなかった。
私が望んだのは、彼が本来の力を発揮できる健やかな状態を、
できるだけ長く保つことだった。
文・図/許嘉玲(English Version,中文版)

競技前、すっかり集中している様子。(Photo: 許嘉玲)
十年という時間が教えてくれたこと
十年あれば、一つの研究を終えることも、会社を一から築くこともできる。私にとっての約十年は、一頭の馬が競技馬として歩んでいく姿を見続けた時間だった。振り返ってみて分かったのは、一度の結果だけでは答えの出ない問いがあるということだ。答えが見えるまでには、時間がかかる。
約十年前、私はGMIを彼の健康管理に取り入れるという、前例のない選択をした。長期的に追跡したデータも、参考にできる先行例もなかった。日々トレーニングを重ね、定期的に競技会へ出場する馬の健康管理にGMIを取り入れることが適切なのか。何年も続けた先に何が見えてくるのか。当時は誰にも分からなかった。頼れるものは、自分の判断と、いつもそばにいるからこそ気づける小さな変化だけだった。
彼は、GMIを健康管理に取り入れた世界初の競技馬として紹介されることが多い。だが、私がよく覚えているのは、その肩書ではなく、もっと身近なことだ。飼い葉を残さず食べていたか、暑い夏も元気に過ごせたか、トレーニング後の回復はどうだったか。競技会のあとも、いつもと変わらない元気と意欲を保ち、次のトレーニングに戻れたか。私が見続けてきたのは、そうした日々だった。
競技馬の生活は、競技場で走る時間や表彰台に上がる瞬間だけで成り立っているわけではない。その大半を占めるのは、観客の目に触れないところで一年を通して繰り返される日常だ。一度の優れた走行が好成績につながることはある。けれど、競技生活をどれだけ長く続けられるかを左右するのは、競技会と競技会の間で重ねていくトレーニングやケア、回復のための休養、そして健康管理だ。

競技後、回復を促すための理学療法を受ける。(Photo: 許嘉玲)
知りたかったのは高さではない
彼のことを「世界で初めてGMIを健康管理に取り入れた競技馬」と紹介すると、決まって同じようなことを聞かれる。「なぜGMIを選んだのか」「GMIを取り入れたことで、何か変化はあったのか」「よく跳べるのはGMIのおかげなのか」。それに対する私の答えは、初めから変わっていない。
よりよい成績を求めてGMIを選んだわけではない。彼に本来備わっていない運動能力を、GMIが新たに与えてくれるとも考えていなかった。競技馬のパフォーマンスは、血統、トレーニング、健康管理、獣医療、栄養、馬具、生まれ持った能力、そして当日のコンディションなど、さまざまな要素が重なって生まれる。どれか一つだけで決まるものではない。
私が知りたかったのは、競技成績への影響ではなく、長い競技生活を支える健康管理の一部として、GMIがこの一頭にどのような意味を持つのかということだった。日々の状態を丁寧に見守りながら健康管理を続けることで、負荷の大きい競技生活のなかでも、彼は健やかな状態をより長く保てるのか。確かめたかったのは、そのことだった。
問いを残したまま
GMIはGanoderma microsporum immunomodulatory proteinの略称で、真菌免疫調節タンパク質群(fungal immunomodulatory proteins:FIPs)の一つだ。これまでの研究では、GMIは単に免疫を「高める」のではなく、免疫応答を調節し、炎症や酸化ストレスに関わる経路に作用することが報告されている。これらは、身体の恒常性を保つ仕組みと深く関わっている。
競技馬にとって難しいのは、一日だけ高いパフォーマンスを発揮することではない。日々のトレーニング、競技会、長距離輸送、天候や周囲の環境の変化は、どれも繰り返し身体に負荷をかける。そうした負荷が積み重なると、炎症反応や免疫調節、回復力に影響することがある。
だからこそ、私はGMIに関心を持った。探していたのは、馬を速くしたり、より力強くしたりするものではない。GMIの生物学的な作用が、競技馬の長期的な健康管理に役立つ可能性があるのかを知りたかった。当時はまだ答えがなかった。そこで、問いを残したまま観察を続けることにした。
八歳、白紙からのスタート
彼は2011年4月29日、北海道で競走馬として生産されたサラブレッドだ。私が確認できた最後の出走は、2016年10月29日の東京競馬場だった。その三か月余り後、私は初めて彼に会った。五歳の彼はひどく痩せ、毛づやも悪かった。右前肢には、以前受けた骨瘤治療の痕が残っていた。目の前の馬が、ほんの数か月前まで競馬場を走っていたとは思えないほどだった。

初めて彼に会ったとき。(Photo: 許嘉玲)
競馬を離れた彼は、身体の使い方を一から学び直さなければならなかった。常歩、速歩、駈歩への移行を促す基本的な扶助にも応えられず、騎手の求めに応じて歩幅を詰めたり、ペースを調整したりすることも知らなかった。
競走馬としての彼は、レースで求められる素早い反応やスピード、騎手との緊密な連携を身につけていた。一方、障害馬術では、別のバランスとコミュニケーションが求められる。騎手の合図を待つこと。歩幅やペースを調整すること。これまでとは異なる扶助に応えること。見慣れない音や物、環境にも、少しずつ慣れていかなければならなかった。
最初から競技会を目指していたわけではない。まずは体力と全身のコンディションを取り戻すこと。そのうえで、基本から一つずつやり直そうと考えた。2017年3月18日、GMIを彼の健康管理に取り入れた。彼が慣れ親しんだ競馬の世界を離れ、新しい道を歩み始めたのもこの頃だった。
彼が初めて障害馬術の競技会に出たのは2019年3月。クラブ内で開かれた小さな競技会で、クロスバーと50cm障害のクラスに出場した。どちらも通常は初心者向けで、日頃のトレーニングやウォーミングアップにも使われる高さだ。それでも当時の彼には、大きな課題だった。
競技場に入った瞬間から緊張し、周囲の見慣れない音や動きに気を取られていた。それでも、最後までコースを走り切った。入賞には届かなかったが、その後に重ねたどの成績よりも、私はあの一走をよく覚えている。
同年8月、より専門的なトレーニングとケアを受けさせるため、彼を障害馬術を専門とする乗馬クラブへ移した。トレーニング中の彼を見た新しい指導者は、「障害馬術に関しては、まったくの白紙です」と言った。その言葉が心に残った。彼はすでに八歳だったからだ。障害馬術に出場する馬の多くは、その年齢までに基礎を固め、本格的な競技歴を積み始めている。彼は、そこからようやく始めようとしていた。
移籍から三か月後、彼は新しいクラブで初めて競技会に出場した。2020年1月には兵庫県新春馬術大会の80cmと100cmのクラスに出場し、どちらも下位に終わった。その直後、新型コロナウイルス感染症の拡大により、外出や移動の自粛が求められるようになった。私たちもそれを受け、競技会への出場を控えることにした。

新しい乗馬クラブへ移籍後、新しい指導者との初めてのトレーニング。(Photo: 許嘉玲)
一走ずつ築いた競技歴
日本馬術連盟公認の障害馬術競技会に初めて出場したのは、2021年3月だった。その年の中障害D(110cm)の乗馬ランキングは299位。2022年には148位、2023年には28位まで順位を上げた。
順位が上がるまでに、何か劇的な変化があったわけではない。ただ競技会に出続け、新しい会場へ行くたび、以前より少し早く落ち着けるようになった。クリアラウンドも、ミスのあった走行も、苦しかった場面も、すべてが彼の経験になった。かつて50cmの障害を前にためらっていた彼は、やがて初めての競技場にも落ち着いて入り、自分のコースを最後まで走り切れるようになっていった。
2023年5月、第50回近畿馬術大会の中障害D(110cm)で、70余人馬中5位に入り、初めて入賞リボンを手にした。全日本障害馬術大会の出場資格を得るため、この年は多くの競技会に出場し、関西圏外へも遠征した。同年9月、十二歳の彼は、長距離輸送で開催地の北海道へ向かい、初めて全日本障害馬術大会に出場した。中障害D(110cm)の予選を4位で通過し、決勝競技へ進んだ。
日本馬術連盟公認の障害馬術競技会に初めて出場したのは、2021年3月だった。その年の中障害D(110cm)の乗馬ランキングは299位。2022年には148位、2023年には28位まで順位を上げた。
順位が上がるまでに、何か劇的な変化があったわけではない。ただ競技会に出続け、新しい会場へ行くたび、以前より少し早く落ち着けるようになった。クリアラウンドも、ミスのあった走行も、苦しかった場面も、すべてが彼の経験になった。かつて50cmの障害を前にためらっていた彼は、やがて初めての競技場にも落ち着いて入り、自分のコースを最後まで走り切れるようになっていった。
2023年5月、第50回近畿馬術大会の中障害D(110cm)で、70余人馬中5位に入り、初めて入賞リボンを手にした。全日本障害馬術大会の出場資格を得るため、この年は多くの競技会に出場し、関西圏外へも遠征した。同年9月、十二歳の彼は、長距離輸送で開催地の北海道へ向かい、初めて全日本障害馬術大会に出場した。中障害D(110cm)の予選を4位で通過し、決勝競技へ進んだ。

暑い夏も、寒い冬も、雨の日も晴れの日も。何年もの間、彼は競技場に入るたび、いつも全力で走ってくれた。(Photo: 許嘉玲)
無理をさせないと決めた一年
全日本障害馬術大会が終わっても、私はすぐに次の成績を追おうとはしなかった。密度の高い競技日程に北海道までの往復輸送が重なり、彼の身体には確かな負担がかかっていた。2024年は、競技会への出場を数回にとどめた。
体力を維持するために必要な運動は続けたが、その年は回復を最優先にした。出場を減らしたのは私たちの判断で、けがや病気を理由にしたものではない。実際、彼は私のもとに来てから、けがをしたことも病気になったこともなく、長期休養を必要としたこともない。
長距離輸送のあとに体調を崩し、回復のために点滴が必要になる馬もいる。彼はこれまで、到着後もいつもどおりの食欲と元気を保ってきた。こうした安定した状態が続いていることも、2017年から現在までGMIを健康管理に取り入れてきた理由の一つだ。
出場を抑えた一年を経て、2025年には、出場するグレードを中障害C(120cm)へ上げた。5月の第52回近畿馬術大会では3位に入った。これが初めての3位以内入賞で、初めて手にしたメダルでもあった。
その年も全日本障害馬術大会の出場資格を得たが、大会は真夏に予定されていた。厳しい暑さと長距離遠征による負担を考え、私は出場を見送った。出場資格を得たこと自体が、彼にはそのグレードで競う力があることを示していた。だからといって、必ず大会へ出場させなければならないとは思わなかった。私にとって、彼が健康に競技生活を続けることより大切な大会はなかった。

競技を終えて馬房へ戻り、つかの間の休息。(Photo: 許嘉玲)
十五歳で得た内国産障害飛越競技の出場資格
2026年、十五歳になった彼は、中障害C(120cm)に加え、中障害B(130cm)にも出場するようになった。
全日本障害馬術大会の内国産障害飛越競技は、年間の乗馬ランキングポイントだけで出場が決まるわけではない。出場馬は、日本馬術連盟の乗馬登録で内国産馬として登録されている必要がある。さらに、所定の資格期間内に開催された公認競技会の認定種目に同一人馬で出場し、中障害B以上のグレードを2回以上完走していなければならない。
十五歳の競技馬にとって、これは競技日程に数試合を加えるだけの話ではなかった。シーズンを通して、中障害C(120cm)から中障害B(130cm)までのコースを走行できるだけの体力と健全性を保たなければならない。必要な実績を一つずつ積み、ようやく内国産障害飛越競技への出場資格を得た。
2026年7月18日、彼は第78回全日本障害馬術大会2026 PartⅡの内国産障害飛越競技に初めて出場した。障害高は125cm。予選競技を19位で完走して決勝競技へ進み、翌日の決勝競技で9位に入賞した。決勝競技で初めて入賞リボンを手にし、入賞人馬によるウイニングランにも加わった。八歳で「白紙」と言われた日から七年。十五歳の彼は、全日本障害馬術大会で入賞を果たした。

2026年7月19日,第78回全日本障害馬術大会2026 PartⅡ,内国産障害飛越競技・決勝競技。(Photo: 許嘉玲)
時間が残した答え
最後の成績だけを見れば、ここまでの道のりは「9位」という数字にまとめられてしまうかもしれない。けれど、その数字の背景には、ランキングには表れない日々がある。障害馬術を始めた頃は基本的な扶助にも応えられず、初めての競技会では怯えながらも無事に競技を終えた。競技会への出場が続いたあとは、しっかりと休み、回復する時間も取ってきた。そうした積み重ねが、「9位」という結果につながった。十五歳になった今も、彼は健康で競技を続けている。私にとっては、それこそが何よりも大切な記録だ。
競技馬の身体は正直だ。よい走行を望んでも、それだけで一晩のうちに健康になるわけではない。昨日の好成績が、今日の疲れを消してくれることもない。本当の状態は、食欲や元気、トレーニングへの意欲、回復にかかる時間といった、ごく日常的な変化に表れる。
細胞および動物モデルを用いた研究では、GMIが免疫調節、炎症、酸化ストレスに関連する経路に作用することが示されている。別の細胞実験では、筋細胞の分化を促進することも報告されている。こうした知見は、約十年前に私がGMIに着目した理由を、科学的な視点から改めて捉える手がかりになっている。
2017年3月18日にGMIを彼の健康管理に取り入れてから、約十年になる。競走馬から障害馬術の競技馬へ転向した時期も、その後の日々のトレーニングや競技会への出場、長距離遠征の際も、GMIを健康管理の一部として変わらず続けてきた。この間、彼はけがをしたことも病気になったこともなく、長期休養を必要としたこともない。長距離輸送後に体調を崩し、特別な治療を受けたこともない。十五歳になった今も、中障害C(120cm)と中障害B(130cm)に出場できる状態を保っている。2026年の全日本障害馬術大会でも、予選競技と決勝競技をともに完走した。
競技馬の健康は、一つのサプリメントだけで守れるものではない。トレーニング、栄養、休養、獣医療、装蹄、理学療法、そして日々の観察。どれも欠かせない。そのなかでGMIも、約十年にわたり続けてきた取り組みの一つだ。
GMIを取り入れたからといって、ある日突然、彼がそれまでより高く跳べるようになったり、速く走れるようになったりしたわけではない。私が見てきたのは、短期間で現れる目立った変化ではなく、長い年月にわたって続いてきた彼の日常だった。毎年トレーニングを続け、遠征し、競技会に出場する。そのあとは身体を休ませ、次に向けてコンディションを整える。十五歳になった今も、彼は健康な状態で競技生活を続けている。
GMIが彼に代わってコースを走ったわけではない。一つひとつのコースを走り切ったのは、彼自身だ。そして彼は、それを続けられる健康を保ってきた。それが、時間の示した最もはっきりした答えだった。

競技会の日も、何気ない日々も。私たちは、一緒にここまで歩んできた。(Photo: 許嘉玲)
最後にひとつの話
全日本障害馬術大会へ出発する前、私は上賀茂神社を訪れ、彼の無事を祈った。引いたおみくじは中吉。そこには、忘れられない一文があった。
「準備を万端に整えれば成果があり、大きな喜びと、思いがけない発見がある」。
そのときの私は、「成果」は競技の結果、「喜び」は入賞のことだと思っていた。大会が終わり、もう一度おみくじを取り出したとき、初めて別の意味に気づいた。
成果は、9位という数字だけではなかった。思いがけない発見は、ここまでの道のりを振り返ったときに訪れた。約十年前に時間へ委ねた問いに、ようやく答えが見つかった。
競技歴と健康管理の記録
競技区分:中障害D(最大高110cm),中障害C(最大高120cm),中障害B(最大高130cm)

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